人が住み、国家がある以上、大昔から「鳶の者」と同様の仕事をしていた人々がいたわけですが、それらは建築仕事の一連の流れに組み込まれていて、大工は大工仕事、左官は左官仕事といった具合に分化が進み出したのは、中・ 近世頃からで、鳶職がはっきり専門化したのは、やはり江戸時代のようです。それに「職業・職人」という言葉そのものが生まれたのが、中世・鎌倉時代頃のことです。
それ以前は、支配者の必要と需要からうまれた部民制のもとで、一種の税としての労役で駆り出されていたのです。各村落から器用さに応じて部分けされ手工業を行う半農半工の暮らしだった訳で、とても「職業」とはまだまだ言えなかったのです。「鳶の者」の仕事は、普請場の地固めや足場組み、高所への建材の運搬や解体などです。高い所を身軽に飛び回る様子は、語源どおり、まさに「大空を旋回するトビ」(俗称トンビ)そのもので、鳶職とは実に的を射た言葉です。
その鳶職が「町火消し」となり「曳家」となるのには、あのテレビドラマや映画でもお馴染みの名町奉行・大岡越前守忠相が深く係わりあっているのです。